2015
06.10

二七日(ふたなぬか)

Category: ■親が惚けた
初七日の次の七日間がふたなぬか。
亡くなって2週間はたってないけど、早めに法要をする分にはいいそうで。
名古屋へ行く用事があったのでお寺に寄り、お経をあげてもらいました。
義父の亡くなった月でもあるので、いいタイミングでした。
七日間ごとにお経をあげてもらうというのは、都内ではあまり聞かないかも。
先祖代々の仏壇のあるような家なら、やるのかしら。

お寺のあるあたりは、東京でいう歌舞伎町みたいな場所。
繁華街である栄や女子大小路も近いのでね。
少し早めに着いたので、公園で休憩していました。
何かを食べているひとのまわりに集まってくるのは、鳩でなくカラス。
えらいことたくさん来たねえ。
苦手なひとにはたまらないだろう。



駅に直結した建物は、リニアの乗り場。
がんがん工事中でした。


久しぶりに来ると、新しいお店や建物が増えていて、驚くわ。
そうだ、とうとうこの4月に名古屋にもギャレットポップコーンが進出したらしく
すっごい行列ができてました。
日曜日ということもあったにせよ、1時間半待ちのかんばんが出てました。


出張中だったダンナは、会社へのお土産を買い、私は娘からリクエストされてた
赤福を買う。
豊橋本店のちくわで有名なヤマサで、練り製品も買いましたー。
ちくわよりも、こういうのの方が好きだなあ。



ホームに入ってきた列車は、あらま学生さんで満杯。
表示が修学旅行となってるのがおもろー。
一本丸々貸し切りなのねえ。



次は四十九日があるので、7月にもまた名古屋に行くのだ。
新幹線の車窓から見る田園風景が、青々としていて目にしみた。
田植えをしたばかりの田んぼもあり、空の雲を写す鏡のようだったわ。
1時間半くらいの距離とはいえ、往復するとどっと疲れてしまうのぉ~。
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2015
06.03

手続きだらけ

Category: ■親が惚けた
祖父や祖母が亡くなった時は、自分の親やおじおばたちが総出で。
昭和20年代までに生まれたひとは、兄弟姉妹たくさんいるからねえ。
義父や自分の母が亡くなった時も、片方の配偶者が残っていたから
その後の手続きにはさほど奔走しないですんでいた。
が、しかし。
今回はダンナが喪主なんである。
やることは山のようだ。お金もじゃんじゃん出ていく。

●5月29日金曜
葬儀屋さんとの打ち合わせの時に、持ってきて欲しいものを言われる。
遺影用の写真と、写真コーナーに使うスナップを10枚、認め印(死亡届を代行提出
してくれるため)。
それと義母は互助会に積み立てをしていたので、その加入者証。

死亡届を出さないことには、区役所でいろんな手続きができないので
そこは、自分らで行くことにして、印鑑を返してもらいました。
戸籍課で死亡届を出すと、15分くらいの待ち時間で火葬許可証がもらえる。
(これがないと火葬できないので、あとで葬儀場に届けに行くのだ)
区役所によると、死亡した記載のある除籍謄本は2週間程度で取れるそう。
後期高齢者の手続きは、後日必要書類を書いた手紙が来るので、それを用意して
届けないといけないそうだ。
どっちみち、保険証は施設からまだ返してもらってないしなあ。
葬儀の領収証を持参すれば、埋葬費として7万円を区からもらえるって。

次は年金事務所に行く。
未支給年金請求書(義母の除籍謄本と除票、主人の戸籍謄本と、私たち世帯全員
の住民票などが必要だが、書類はあとで追完可能)と死亡届けを出し、年金手帳
と証書を回収してもらう。
生計が同一ならば、4~5月分(6月支給)を遺族が受け取れるそう。
5月1日に亡くなっても、5月31日に亡くなっても、1ヶ月分はもらえるそうだ。
日割りじゃないことを初めて知る。

それから、施設に電話して、30日(土)に居室の片付けに行くことを伝え、契約解除
の書類などの準備をお願いした。

名古屋の家から持ってきて、施設で使っていたチェストとか、うちで出しそびれていた
電気製品とか、この際だからまとめて出してしまおう。
インターネットで、粗大ごみ持ち込みを予約する。
ゴミ処理券、持ち込みすると不要になったりするのね~。

この辺で、相当疲れてきたけど、あともう一踏ん張りして、施設に渡す
お世話になったお礼の品を用意しに、日本橋三越へ出かける。

自宅に帰ってから、祭壇に飾る花、一対をFAXで注文しました。


●5月30日土曜は施設へ行き、使っていたお部屋を片付けて、退去書類にサインをする。


●5月31日日曜は処分場に粗大ゴミを持ち込む。
帰ってから洗濯と掃除。
夕方からは通夜のため早めに葬儀屋さんに出かけねば~と慌ただしいわあ。


●6月1日月曜 正午から葬儀。
都営の焼き場はえらいこと広々として立派で、緑が多いの。
火葬に1時間ほどかかるそうだけど、はじからはじまで20基の炉がスタンバイし
ほぼすべてが亡くなった方の名札がついており、ごんごん稼働中なんである。
朝から夕方まで焼きまくっても、なお追いつかないのねえ。
通夜葬儀の日程は、焼き場の空き状況に左右されて決まるのだな。


●6月2日火曜 私は3日間の忌引きが終わって、仕事に出る。
お昼休みに義母の本籍地に電話してみると、死亡の記載のある戸籍謄本が
用意できたら、すぐに携帯に連絡をくださるという。
信じられない親切さ!さすが町役場なんである。
まだうちの区で出した死亡届は先方に届いていなかったが、これは2週間も
かからないでできあがるだろうな。


あとは生命保険の請求と、医療保険を止める手続きをしないとだわ。
それと、恩給については年金事務所の管轄ではなかったので、そちらも今日にでも
手配しないといけないな。

週末は初七日のため、名古屋に行く。
7月には四十九日の法要もしなくてはならない。
行事が立て続けにあり、そのたびに菩提寺のある名古屋からお坊様に来ていただく訳には
いかないと思ってたら、骨壺は葬儀の後に、お坊様が名古屋にお持ちくださった。
義父の時はお墓は買わずお寺に永代供養を頼んだので、義母もそうすることにしました。
しばらく忙しいなあ。。。まあ粛々と片づけていくしかないが。
2015
05.28

義母を看取る

Category: ■親が惚けた
今日義母が亡くなりました。
乳ガンがわかってから東京で施設を探し、名古屋から来てもらって、1年3ヶ月でした。

5月半ばから、だんだん食べ物を口にしなくなったという連絡をもらっており
春先は家族揃ってインフルエンザや溶連菌に感染したり、食あたりなどを
立て続けに起こしていたので、なかなか訪問できないでいたんだけど。
久しぶりに顔を見たら、ずいぶん痩せてしまっていてびっくりした。

この週は2度も施設から電話が入り、「発熱」していて「意識がない」ので
救急搬送したいと言われたの。
受診してもCTを撮るくらいで、「あとは担当の先生と後日話してください」と
帰されてしまって。
義母がお世話になっている特養は看取りもしてくださるので、22日に
急遽看取りの同意書に主人がサインをしました。

なので、5月23,24日の土日は、ほとんどを施設で過ごしてました。
ほとんど寝てばかりで、でも時々大声でうわごとを叫ぶ。
会話もできないし、私たちが誰かもわかっていないし、そばにいて
手を握ってあげるしかできなかったけど。
すっかり衰えてしまったなあと思ってた。
施設のひとでなく、家族があげると、飲んでくれた腸から吸収する栄養剤。



26日は外部から通ってきている歯科の方が口腔ケアしてくれる日だったそう。
口がさっぱりしたのか、この日は水分も栄養剤もいろいろ飲んでくれたって
午後から休みを取って、付き添ってきたダンナは嬉しそうにしてた。
27日は通っている乳腺外来の診察日だったのだけど、先日救急搬送された時の
データを見ながら、主治医の先生は「余命1~2ヶ月」とおっしゃっていたそう。
それでも、意識はしっかりしていて、食事も驚くほどの量を食べたそうだ。

ひとによっては、亡くなる前に一時的に元気になったりすることがあるんだってね。
まさにその夜だった。
寝入ってすぐの時間に電話がかかってきたのは。
私は化粧もせず、コンタクトも入れず、着替えたままの姿で、主人と二人自転車を
飛ばした。「まさか」って思った。夜勤のひとの言ってることが間違いでおおげさに
言ってるんじゃないのって思っていた。

でも、病室に入って、お義母さんを見たら、わかったの。
顔面は白くなり、下顎呼吸が始まっているんだもの。
母を送った時も、「これが始まると長くない」って看護師さんに教わった。
指先で酸素濃度と心拍をはかる機械の表示は、50台。
血圧を聞くと、上が70だという。
手足をさわると、まだそこまで冷たくはなかったので、時間に猶予はあると思った。

「危篤状態」といっても、どうやって進行するのか、実際に見送ったひと以外は
知らないだろうなあ。私も自分の母の時、もっと予兆を勉強しておけば
よかったと後悔したものだ。主人と娘を自宅に帰してしまったので、最後の時に
間に合わなかったから。

『危篤の状態になると特有な現象に「死前喘鳴(しぜんぜんめい)」がある。
のどもとでごろごろいい、呼気、吸気両方で音がする。
これを痰が貯まっていると解釈して、何度も吸引すると患者を苦しめる。
そして思ったよりも痰はとれず、音は消えない。
本人はこのごろごろとした音を苦にしていないからそうで、もしも、意識があり
咳き込みながら、喉がごろごろと音がすれば、それは「死前喘鳴」とは違う』そうだ。

『下顎呼吸が出現する。
時に目は仏像のように半開きになり、まつげに触っても瞬きをしない』

『死前喘鳴は平均、亡くなる57時間、下顎呼吸は7.6時間、四肢のチアノーゼは
5.1時間、椎骨動脈の脈が触知できないは、2.6時間で出現したと、患者さんを100人
観察した研究で明らかになったそう。
死前喘鳴はおおむね2-3日前、下顎呼吸、四肢のチアノーゼ、椎骨動脈(手首)の脈が
わからなくなるのは、亡くなるその日に起きると言える。
言い換えれば、亡くなりゆく人を観察しているとどのくらいの時間が残っているか推測できる。
亡くなりゆく人は、自分がいつ頃に亡くなるのかを、その体を通じて周りの人に教えてくれる』
というお医者様の書いたブログをずっと読んでいた。

救急搬送して、酸素を吸わせるかどうか、施設のひとに何度も確認された。
病院に連れて行けば、家族で看取ることはかなわない可能性が高い。
そして、尿のカテーテルを入れられたり、点滴をされたりするだろう。
食べない、飲まない、体が死ぬ準備を整えているところに、点滴で水分を
入れたり、酸素を与えたりするのは、患者さんの苦痛が増すだけなのだと、書いている
お医者様や看取りをしている施設のひとたちは多い。
自然に逆らわなければ、枯れるように静かに亡くなっていくのだと。
わたしたちも前もって話し合い、痛みが出た時以外の治療はしないことにしてあった。

ベッドパットを何枚も持ってきてくださったので、床に敷き、交代で横になりつつ
私たちはずっと義母を見守った。
下顎呼吸は相変わらずで、朝出勤してきた看護師さんが痰を吸引しようかと
申し出てくださるが、それもお断りしました。
ゆっくりゆっくりと冷たくなっていく手足。
落ちていく酸素濃度。


全身、特に肝臓がひどくがんに侵され、最後は胸水もたまり、乳ガンから来る
手のむくみや腫れはあったけど、ありがたいことに最後まで痛みはなかった。
静かに、眠るように、亡くなりました。
お義母さん、ながいことお疲れ様でした。

日・月曜と葬儀のため、しばらくブログをお休みします。
2014
03.03

東京までの長い長いドライブ

Category: ■親が惚けた
日曜日の朝8時30分に、義母を迎えに行ったら、もうお願いした
民間救急車の方がおいでだった。
母の荷物(といっても衣類など段ボールに3箱程度)をのっけて
私たち夫婦と、リクライニング車椅子を乗せてもまだ余裕の車内。


日曜の朝イチに、東名の豊川・三ヶ日間が事故
朝6時過ぎのニュースで見たんだけど、出発の時になっても
通行止めがそのままでした。よほど大きな事故だったんでしょう。
しかも上りの東京行きだもんなあ。
急遽、中央道を経由して出発することに。
{15980AEA-064F-4369-8962-4E4BB150298D:01}


トイレ休憩と、義母の体位を動かすため、こまめにSAで休む。
ここは諏訪湖です。
SA内なのに、温泉もあるのねえ。
{1E637C00-7C5B-42E0-B21D-7AF39CDE32B1:01}


250㎏まで搭載可能なリフトにはびっくりだったわ。

{A6D08132-25A0-4646-8081-FD83242355C3:01}


{180096B2-53E3-403F-8E44-2DBC1CA2322E:01}


民間救急車の方、運転だけでなく、ご自分で介護もこなす。
この車は人工呼吸器などが必要な方も運べるようになっている。
トイレの介助などもしてくださり、頭が下がるほどつきっきりで
世話をしてもらいました。
プロなので頼もしいことこの上なし。


わたしたちだけで運ぶなんてとんでもなかったわ。
途中、やっぱり食事をつまらせて、えらいことになったし。


名古屋の方で、たかとう(高東)タクシーさんとおっしゃいます。
親切で、丁寧で、気を配って下さり、本当に、本当に感謝。
長距離を走り抜き、お疲れになったでしょうに、その日のうちに
名古屋にとんぼ返り。
今朝も仕事とおっしゃっていたなあ。
どうもありがとうございました。

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2014
02.19

特別養護老人ホームに空きが

Category: ■親が惚けた
区内3カ所の特別養護老人ホームに申し込みをしていましたが
そのうち一番新しくできた施設から連絡がありました。
うちは申し込みが遅かったので、一度は満室になったんだけど
掛け持ち申し込みをされていたりする関係や、種々な事情で辞退
されるかたもおいでだとかで、繰り上がり入居になりました。


健康診断書を用意し、感染症などの問題がなければ、受け入れる
方向で、とのこと。
診断書は、簡単なものではなく、検査項目が多岐にわたっている
ものなので、できるまでの待ち時間に、することいろいろ。
まずは母の地元から東京まで移送するのための民間救急車。
道中長いので、基本横になったまま移動できるもの。
時々は体を起こしたり、食事をしたり、トイレにも連れて行かなくては
ならないし。気管に食べ物が入ってしまったり、痰を詰まらせたりすると
私たちだけではとても対処できないので、専門の業者さんを
探しました。


都内の乳腺外来にかかるための紹介状を頂くために、もう一度
母を連れて受診しなくてはならないこともわかりました。
このどたばたの日程の中、とほほだけど、なんとかダンナが都合を
つけて、明日病院に連れて行くことになりました。
でも、もう少し早ければ、雪でアウトだったし。
3月は娘の卒業制作展や、卒業式や謝恩会など、行事がモリモリ
だったから、この上なくいいタイミングだったかもね。


正式な返事が昨日あったので、いよいよ東京に連れていく準備
を本格的に始動。
宿を2泊予約し、仕事帰りの新幹線取り、施設から用意してくれと
言われていた車椅子をamazonで購入。
びっくりしたけど、今時の車椅子って、6~7万円以上するものが
15000円くらいで買えちゃうのね~。


お寺にも挨拶に行かなくちゃだし、親戚にも伝えなくては。
お世話になった方々にお渡しするお菓子なんかも買ったり。
次の施設には、テレビも家具もないかわりに、好きなものを
持ち込めるそう。仏壇なんかもおくひともいるって。
衣類を収納する家具やテレビも揃えなくちゃね。
ああ、なんだか慌ただしいわ。

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2014
01.26

特別養護老人ホーム待ち

Category: ■親が惚けた

私たちが住む区の特別養護老人ホームを3カ所申し込み

もちろん待機なので、その前に区内の老人介護施設に移すことを

考えていた時。


今入所している施設から、連絡が入り、胸に影があるので

病院で検査を受けて欲しいとのこと。

施設から外に連れ出すのは初めてのこと。

ダンナと私と2人で、なんとか平日に休みを取り、名古屋まで出かけました。

朝イチの予約なので、仕事が終わってから出発の泊まりがけです。


下半身が麻痺しているので、移動は車椅子。

車椅子ごと乗車できる車を持った送迎業者さんを予約し、トイレの介護は

慣れないわたしたちでは事故の危険があるので、おむつで対応することに。

病院で検査の結果、相当大きくなった乳がんがあるそう。


生検をし、その結果を聞きに、2週間後にまた名古屋へ向かうダンナ。

幸いなことに、ホルモン剤が効くタイプの乳がんなので、服薬を続ければ

これ以上大きくなることは防げるという。

ただ体のあちこちに転移しており、長くて2年持たないだろうというのが先生の

見立てでした。

認知症があるひとは、痛みを感じにくくなることが多いそうで、とはいっても

今後どうなるかはわからないし。

最終的には緩和ケアをしてくれる病院も探さないといけないねと話しました。


とりあえず、通院のたびに私たちが平日名古屋に通うのは、ちょっと厳しい。

余命宣告されてしまった今、早くこちらに連れてきて、なるべく顔を見せたいし。

特別養護老人ホームが空くまで、とりあえず入所する老健を探そうと

がん騒ぎで一度予約をキャンセルした老健に予約を取り、見学に行きました。


そしたら。。。詳しくは書かないけど、ふたりとも無言になってしまうような

施設でして。建物を出た時に「ここにだけは入れたくないね」って。

同じ老健でもこんなに違うものなのねえ。

母が入っている今の施設がいかに素晴らしいか、つくづくわかりました。


症状に変化がなければ、通院はこの先3ヶ月に一度くらいでいいと言われているし。

環境の変化は、認知症の人には一番よくないことだし、申し込んでいる

特養が空くまでは、頑張って名古屋に通い、乗り切ろうと決めました。


しかし。。。認知だからなのか、性格の勝ち気さからなのか、母はいまだに

自分は普通に歩いていけると言い張る。

下半身麻痺でトイレも2人がかりの介助なのになあ。

言葉を交わす分には普通に話せるので、何も知らない病院の人は信じちゃうもの。

あわてて「いえ、全介助なんです」と言わないといけない。

意識したことがなかったけど、病院で検査を受ける時って、座ったり

横たわったり、いろいろな姿勢を取らなくてはいかなかったり。

下半身麻痺だと、不自由なことこの上ないのねえ。

素人のわたしたちなんて、2人がかりでも車椅子からベッドに移すこともできず

本当に情けない思いをしました。


トイレの介護さえできるようになれば、福祉車両を持っている大手レンタカー

会社もあることだし、車椅子ごと連れ出して、ごはんを食べに行くことも、母が

行きたがっている買い物も可能になる。

これは、少し夫婦で勉強せねば。


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2013
12.12

義理の母を東京へ呼ぶこと

Category: ■親が惚けた

家を引き払ったのがGWで、地元の介護施設(老健)に母がお世話に

なってから早くも9ヶ月になる。

本来なら老健は、リハビリをして自宅に帰るひとのための一時的な施設。

3ヶ月とか半年とか、期間を決めて滞在を見直されることになっているんだけど

義母がお世話になっているところは、院長先生の方針で、半年経ったから

さあ退去~ということはしないそう。

ありがたいことに。


秋に増床完成予定だった、うちの区の施設。

そこに入れたらいいねと、申し込みをして待っていたのだった。

完成工事も終わり、入居者の選定に入ったので、家族面接をと言われて

でかけたのが去る10月のこと。

申し込みしてから半年以上が経過していたのだけど、義母の要介護度が

当初の1から4にあがってしまったのだった。

圧迫骨折が影響して、下半身の麻痺が進んだらしい。

便意がよくわからないという。

手術をすれば今よりは改善されるとのことだったのだけど、入院期間が

1ヶ月以上になれば、今いる老健を退所しなくてはならないと聞いていた。

だったら、こちらに呼び寄せる時に、東京で入院すればいいのではと相談し

今まで待っていたのだけど。

で、入所の結果はNGだった。

要介護度4ではね。。。


急いで今度はすぐ近所にある別の施設に相談したら、新しい特養が

2カ所できたばかりだというではないの。

私たちの住んでる区では、入所希望は区に申請するのではなく

施設に1カ所1カ所出さないといけないんだって。

ひとつはもう完成して、すでに入所が始まっているとのことなので

早速面接のアポを頂戴して出かけてきた。

お話しをうかがい、申込書は出してきたけど、区に長いこと住んでいる方に

優先度があるとかで、私たちの優先度は低そう。

保育園と一緒で、ポイント制なんだよね。

もう1カ所は来年2月にオープン予定で、まだ工事中。

こちらには郵送で申請書を送りました。


そして、ウチから徒歩5分のところにある特養は、以前うかがった時は

300人以上の待機者がいると聞いていたので、まず無理だろうと思ってた。

だけど、最近の施設は、どこも個室が標準。

ここはできてもう15年くらいになるのかな?

だから当時のスタンダードだったろう相部屋なのよね。

お風呂も機械浴ではあるけど、浴室は率直に言うと古くて暗い。

最新式のものを見てしまったばかりの私たちは見学の時(これでゆっくり

くつろげるのかな?)と顔を見合わせてしまった。

自宅から近いし、何かあっても駆けつけられるし、何より施設で働くひとが

みなさん感じがいい。設備も大事だけど、結局は介護はひとがするもの。

毎日接して下さる職員の方に好印象を持ったなら、それを大事にすべき

じゃないかと思った。


一連の申し込みの聞き取りの時に、特養の入所を待ちながら、老健で

一時的に過ごすひともいるということをうかがった。

ショートステイでつなぐひともいるとか。

どうしても自分たちの近くに呼びたければ、特養の空きを待つ以外にも

いろいろ方法があるらしいのだ。

そっかーーー、もっと早くにプロに相談すべきだったなあと。

特に今この区では新しい特養が2カ所もオープンした(する)ので

老健は入りやすくなっており狙い目なんだとか。


資料をもとに、区内の老健のいくつかに電話をかけて、面接することに

したんだけど、ここに来て予想外の事態がおこった。

長くなりすぎたので、続きはまた。


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2013
05.01

自宅を明け渡すまで

Category: ■親が惚けた

初日は、東京に持って帰る荷物を寄りわけてから、箱詰作業。
家のあらゆる場所から出るわ、出るわ、この10年位の郵便物やお知らせ。

DMに混じって、青くなるような大事な書類が出て来るので、気を抜けない。

中身を確認しながら、捨てていく作業だけで、45リットル袋がいくつもできて

山になる。これは大変なことになると、暗い予感でいっぱいに。

作業の合間をぬって、段ボールを届けにヤマトさんが来たり、ガスを止める

立会いをしたり、明け渡しの査定をしてもらったり、忙しいったらない。
日曜祝日は休みのところが多いから、土曜日に用事が集中してしまっただね。

片付け業者さんが、来たのは翌朝8時半。
女性1人と男性3人、そして私たち夫婦の6人で取り組む。

中身の分別はあとでやるそうで、とにかくどんどん袋にいれて行く作業の開始。

戸棚、押入れなどの収納という収納から中身を出す作業は、実に夕方まで

終らなかったわさ。ただ出して捨てるだけで!だよ。

その間に大きな家具類を室内でばらばらにし、トラックに積んでいくんだけど

義母の部屋は7階なんだもん、エレベーター使って往復するだけで、えらい

時間を取られる。
たた2DKの間取りに、どんだけ家具を詰め込んでいるんだぁ。

娘が大きくなってからは家族3人でここに泊まることもなかったから、こんなことに

なっているとは思わなかった。

29年住んでいれば物が増えるのは仕方ないけど、一番驚いたのは、引き出しや

押入れにしまいこんでいる物のほとんどが空箱や紙袋やビニール袋や空缶だったこと。

なぜか洋服ダンスにまで入っている郵便物の束や、下着と一緒くたになっている

宅急便の控えやレシート。ぐちゃぐちゃに詰め込んであるゴミ。

一緒に作業している女性も、「すごいねえ、捨てられない性分だったのかねえ」と驚く。

いろんなおうちを見ていれば滅多なことでは動じないだろうに。

まめできれい好きだった義父が存命だったころは、見事に整理整頓していたのだが。

義母はとにかく家事が嫌いなひとだったから、1人になってから片付けをしなくなった

んだろうなあ。

職場のボスや我が家のひとを見ても、片付けられないひとというのは、とかく収納さえ

あればと愚痴を言うけど、本当はスペースがある分だけ、ものが増え、余計に広がって

しまうだけなんだ。
義母の場合、高齢や痴呆というのを差し置いても、元来整理整頓が苦手だったんだろう。

多分、掃除も放棄していた模様。。。溜息。
整理整頓の第一は不要なものを捨てること、それにつきるのに、捨てることが

できないんだもんなあ。


私の母が亡くなったあと、父は母の持ち物を驚くくらいの勢いで処分していた。

今になってみると、それがどんなにありがたいことだったかわかる。
そろそろ、自分たちも、持ち物を減らしていかないとだめね。

そして、仕事をリタイアしたら、最低限の物だけ残して処分しなくちゃ。

娘にこんな大変な思いさせるのだけはいやだわ。

この一連の騒動で、つくづく先のことまで考えさせられたかも。

永遠に終らないかもしれないと思えたが、夕方からは業者さんの社長が参戦して

一気に加速。大型のタンス三棹を壊す作業が山だったけど、洗濯機、エアコン

の取り外しと搬出を済ませたら、急に終わりが見えた。

車で帰る業者さんを下でお見送りしたのがもう7時前。
手も足も痛いし、クタクタ。

主に室内にいて仕分けをしていただけでこれだもんなあ。

運び出した荷物は、なんと2トントラックに8台分。
下見にはいらしたけど、押入れや収納の中身をチェックしていなかった社長さんは

見積りよりもだいぶオーバーしてしまいましたと申し訳なさそうにおっしゃる。
トータルの金額は25万になりました。
それでもネットで検索してみたどの業者さんより安かった上、家電や家具を欲しいと

言っていた親戚に、わざわざ軽トラを出して届けてくれ、その料金は受け取らなかった。
夫婦2人てやっていたら、何週間かかったかわからないです。

車も借りないとだし、台車や工具もいるし、素人ではエアコン外すとか無理だし!
こちらこそ、頭を下げたい気持ちです。


とりあえず、一番懸案だったことが終了し、肩の力が抜けました。


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2013
04.20

おうちを引き払う

Category: ■親が惚けた

母は腰から下に麻痺があり、今は便意も感じにくくなっているという。

当初の要介護1ではとても現状にあってないので、認定の区分変更を

することになった。

GWに面会に行くときに、車で連れ出して、どこか外で美味しいものでも

食べようと思っていたのだけど、難しいかもしれないナ。


GWに行くのには、もうひとつ大きな目的がある。

母のすまいを整理しに行くこと。

月々の施設の費用にあわせ、家賃まではさすがに払いきれないから。

どんどん不自由になる母の状態では、この先どんなにリハビリをしようとも

あの家でひとりで暮らすことはもう不可能だから。

痴呆は薬で進行を遅らせることはできても、身体能力が弱っていくのは

止められない。今はお風呂もリフトを使わないと入れないし、トイレに

行くにも介助がふたりついているんだって。


躊躇がなかった訳ではない。

母が暮らしてきた家、大事にしていたあれこれを処分してしまうことに

ダンナは今でも罪悪感をもっていることもわかってる。

でもいろいろ話し合って、決めた。


まずは自宅の近所に増床工事をしている施設を見つけ、今は満員だけど

完成すれば更に30床の受け入れが可能になるという。

入居申し込みをし、予約リストに名前を入れてもらうことから始めました。


それから郵便物の転送届けを。

年金や保健や大事な郵便物が届いても、私たちは受け取りに行けないから。


母の住んでる団地の退去手続きは郵送で可能だった。

息子であっても、別世帯だから、戸籍謄本などを求められたけど。

退去のための査定の立ち会いなんかもアポを取り、あっけないほど

簡単に終わりました。これが一番大変かもと思ってたからほっとしたわ。


遺品整理や施設入所のため、家全部を片付けるという業者は

需要があるようで、たくさんヒットしました。

お値段を聞いてみると、30~40万円かかるということがわかって

ちょいびっくり。まあ家具から何から全部引き上げて、分別して廃棄して

もらうことを考えたら、納得の金額かな(ちなみに2DKの値段)。

ただどこの業者も下見が条件だった。

そりゃ当たり前だけどさ。。。離れたところに住んでいたら、下見のためだけに

出向くのは難しいよね。

遠距離介護しているひとは多いけど、子の負担は本当にばかにならない。


結局下見は前日でも大丈夫ですよと言って下さった業者さんに決めました。

介護サービスの方の紹介だったし、市町村からも依頼されているそうで

信頼できるなと思ったから。


あとはうちの近所の施設に入るときに持って行く衣類や整理タンスや仏壇などを

単身パックで運んでもらうこと。


電気、ガス、水道、電話などを止める手続き。


東京家裁で成年後見の手続きをするつもりなので、そのための診断書も

必要で、家裁の書式を病院に郵送して、ドクターに書いてもらわないといけない。


後見人になったあとに、各種銀行口座を閉じる用紙ももらう。

今母の年金が振り込まれている口座は、地方の信金で、通帳記入すら

ままならないから、母名義のゆうちょ口座に振込先を変えるつもりなの。


それに役場に行って、転出届も出してしまわないと。。。

やることのあまりの多さに、こういう手続きをやり慣れた自分でも頭痛がするほど。

ひとひとりが住まいを引き払うって、こんなにも多くの手続きが必要なんだね。


お寺さんに挨拶に行くこと、自分たちの宿や新幹線、レンタカーの手配など

電話とネットで奮闘してたこの3週間ほど。

さあ、たった4日間で、進行表とおりにうまくこなせるかな?


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2013
04.14

地元で一時避難

Category: ■親が惚けた

前々から腰の圧迫骨折があり、コルセットなどをしていた義母。

そのうちどうせ行ってもよくならないと、自宅で寝ているようになった。

出かけないと、体を動かさないから、余計に筋力が落ちたり、関節も固まってしまうんだけど。


お風呂に入るのもままならず、どうやらずっと入浴していなかったらしい。

介護認定の時も、「入浴した形跡があるかどうか」はチェック項目のひとつなのだ。

それでもそれを「困っている」とは決して言わない。

介護サービスのひとも言っていたけど、「痴呆症になりかけているのかも」と本人は

絶対に認めないそうだ。どのひとも判で押したようにそうなんだって。

リフトがある介護施設のお風呂は、大きくて入りやすい。

しかも温泉だそうで、まずは週2回のデイサービスから始めることにしました。


一人暮らしをするのは無理であろうと、お医者様が判断したので、とりあえず

入れる施設を急いで探すことになったのだけど。

都心部よりは入りやすいのか、ケアマネージャーさんが即入居化の施設を

見つけて下さった。

「リハビリするための入院」という名目で、介護もしている病院のリハビリ階

(痴呆でない一般の患者さんも入るところ)に入院したのが、3月末だった。

最初のうちは、夜中にベッドから出てしまったり、「帰りたい」と何度も

訴えたりということが頻繁だったけれど、2週間が過ぎたこの頃ようやく

落ち着いてきたようで。

1月から、何度も実家に帰る日が続いていたから、こちらも一安心ですわ。


。。。と思ったら、ある日急に、つかまりながらの歩行もできなくなり、足の

反応も鈍いから、診察に連れて行くという電話がダンナ携帯に入ったそう。

結果は心配していた脳からのものではなく、圧迫骨折が悪くなったようだった。

これがもとで寝付いてしまわないといいのだけど。


まったく、いいタイミングで、義母の妹さんから連絡をもらったのだと思うわ。

一人暮らしのまま、動けなくなり、電話もできずにいて、万が一誰も気がつかずに

亡くなったなんてことになったら、後悔してもしきれないものね。

介護サービスというもの、義母の面倒を診て下さっているみなさんに

遠くから頭を下げました。


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2013
04.06

ダンナ母が痴呆症に

Category: ■親が惚けた

2012年を迎えたお正月、ダンナ実家に行ったときからおかしいとは思ってた。
交わした会話を覚えてないし、何度も同じこと言うし、直前に自分が買ったものすら

忘れてしまう。何より細かいことにこだわらなかったおおらかな義母が、妙に

意固地なことを言うようになったから。

新幹線で2時間弱ではあるけど、そうそうは帰れない。

うちの近くに来たらと誘ったけど、母の返事はいつも「もう少しほっといて!

自由にさせて」だった。

今年に入ったある日、母の妹にあたるひとから自宅に電話が入った。
母の腰の具合が悪化して以来、医者にも買い物にも行けない日が続いていて

食料を持って様子を見に行ったら、言動がおかしいと感じたそう。

そのうち一日に何度も電話が入るようになり、高い場所の探し物を頼まれたら

こちらも腰を痛めてしまい、仕事もあるから困ってるとの内容。
迷惑をかけていたことをお詫びし、帰宅したダンナに伝えた。

次の週末にすぐに駆けつけると、ダンナ愕然。

冷蔵庫の中はほとんど腐ったモノばかり、冷凍庫には同じモノがいくつも

入っていたそう。

電話する度、変わりない、元気でやっていると聞かされていただけに、彼も

困惑したみたい。ろくに身の回りのことも出来なくなっても、素直に子供にSOS出す

高齢者の方が珍しいのだとは、あとから介護サービスの方に聞いた話。

おばさんに電話をかけて、詳細を聞いたダンナ、役場に電話して介護センター

を教えてもらった。すぐにひとを派遣してくれ、介護認定するための手続きを

手配して下さる。あれよあれよという間にケアマネージャーが決まり、日々の訪問まで。

ほぼ毎日様子を見に来てくれる人ができただけで、ほっと一安心。

最初は「知らないひとに入られたくない」「お金がかかる」としぶっていた母だったが

不自由なところをお世話してもらい、毎日担当の人とおしゃべりもできたのがよかったのか

訪問サービスに慣れるのは早かったみたい。


平行して、専門のお医者様のところで診てもらうことにしました。

頭のCTなどの検査を受けたところ、やはり脳が萎縮してしまっているとのこと。

毎日の訪問でこのまま乗り切ってくれるかと思っていたけど、進行は予想以上。

薬の服用もひとりでは無理で、自己管理ができなくなっているのが発覚。

お医者様も、一人暮らしはもう無理でしょうとおっしゃっているという。

薬もそうだけど、火事とか出すのが本当に怖い。


認定の時の質疑応答の様子から、要介護2はつくだろうというのが、センターの

予想だったけど、1ヶ月くらいして、出た結果は要介護1だった。

とりあえず要介護であれば、施設に入れるので、母の地元と、私たちが住む場所と

両方で探し始めたの。


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